618年、隋の煬帝(ようだい)が江都の離宮で殺され、まもなく李淵(りえん)が帝位につき、唐王朝が始まりました。以降、唐は290年の長期王朝として栄えます。歴史的には、唐は「初唐」「盛唐」「中唐」「晩唐」の4期に分けられます。
初唐・盛唐期には、彫刻様式が、開花から咲き乱れて上りつめる際のはつらつとした生気がみなぎり、中国美術史上格別な優品が大変多く生み出されました。
対して、後半の中唐・晩唐期は、成熟期を過ぎて退廃に至る下り坂の時期で、魅力的な作品が生み出されなかったと推測されています。
初唐様式
初唐の仏像様式は前代の様式がさらに味わい深くなったもので、豊満な肉付きと調和のとれた表情、写実的な造形と柔らかな衣文が特徴です。
これには、貞観(じょうがん)3~19年(629~645年)にインドへの仏法を求めて大旅行を敢行した玄奘(げんじょう - 三蔵法師)や、これについで帰国した王玄策(おうげんさく - 人名)、義浄(ぎじょう - 人名)らの活躍があります。この時代は、インド僧や西域僧の往来もさかんでした。国を行き来する人々がもたらした西方の文化と中華の伝統が調和し、新しい美術様式が開花した時代です。
龍門石窟奉先寺洞(りゅうもんせっくつほうせんじどう)
唐王朝の創成期である7世紀前半、初代高祖・李淵(りえん)、二代・太宗(たいそう)の時代の作品で現在残されているものは少なく、大変貴重なものとされています。京都・藤井斉成会有鄰館(ふじいさいせいかいゆうりんかん)の石仏座像(貞観13年銘)の豊かな体つきと、密着する薄い衣の質感には、新しい様式の始まりを感じさせます。続く三代・高宗(こうそう)の時代の龍門石窟法先寺洞の完成で、初唐の造像様式は頂点に達したと言えるでしょう。
675年に完成した奉先寺洞は、高宗の勅願による竜門随一の大洞です。
西山中央の高さ20メートルほどの山腹を30~40メートル四方にわたって切り開き、中央に本尊・廬舎那仏座像(るしゃなぶつざぞう)と、左右にそれぞれ羅漢、菩薩、天王、力士の立像が相称形に彫り出されています。
中央に彫られた大仏像は、17メートルを超える大きなもので、凛々しい顔立ちと堂々とした体軀(たいく)は見るものを圧倒します。
造像は華厳思想(けごんしそう)にもとづいており、「廬舎那仏(るしゃなぶつ)はこの世をあまねく照らす太陽のごとく全世界の中心にあって、万物を統治する存在」とされています。奉先寺洞は、現実世界の支配者である「皇帝」を、仏教世界の中心たる「廬舎那大仏」に当てはめることで、皇帝の威信を天下に知らしめる巨大な記念建造物だったと考えられます。
※ 1)華厳思想(けごんしそう)
この世界の実相は個別具体的な事物が相互に関係しあい、無限に重なりあっているという考え方
↓ 廬舎那仏座像 唐(675年)
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