仏像の起源 ~ ガンダーラの造像 仏像美術vol.2

仏像の起源

初期の仏教美術は仏像(仏陀の像)は無く、仏陀の死後500~600年後に仏像がつくられるようになりました。
最初の仏像がいつ、どこでつくられたのかは二つの意見に分かれており、インド西北部(現在のパキスタン北部)のガンダーラ地方と、中インド北部の小都市マトゥラーのどちらかとされ、長い間「ガンダーラ・マトゥラー論争」と呼ばれて調査が進められています。

両方の地区でほぼ同時期(クシャーン朝時代)に仏像の制作が行われたと考えられてきましたが、最近では、ガンダーラの方が紀元1世紀頃、マトゥラーでは2世紀初頭頃につくられ始めたという説が有力です。

紀元前4世紀にマケドニアのアレキサンダー大王が東征をおこない、ガンダーラ地方にも多くのギリシア系民族が流入し、西方文化が伝えられました。前3世紀半ばに仏教信者であるマウリヤ朝のアショーカ王がこの地方まで領土を広げ、寺院や仏塔が建てられました。やがてクシャーン朝(1世紀後半~3世紀頃)に入って最初の仏像が生み出されたと言われています。


ガンダーラの造像

初期の仏教遺跡とされるインドのサーンチーやバールフトでは、紀元前3世紀から前2世紀にかけて、仏陀を象徴表現(仏足跡や菩提樹など)で表した仏陀なき「仏伝図」がつくられていましたが、紀元1世紀末のガンダーラでは、象徴表現ではなく頭光(ずこう)や僧衣をつけた人物像として表現したものが登場します。

これが仏像の始まりとされています。

初期の仏像は仏伝図に描かれた他の人物と同程度の大きさでしたが、しだいに大きく目立つように表現されました。これが礼拝の対象となり、ついには「単独の彫像」がつくられるようになりました。


初期の仏は西洋人?

ガンダーラの仏はギリシア・ローマ美術に影響を受けています。
人物表現は、彫りの深い顔立ちに高い鼻、ひきしまった口元にひげをたくわえた顔貌で、東洋人よりは西洋人の特徴をとらえています。その思索的な表現と写実味あふれる肉体表現は、ガンダーラ美術が東西文明の交流によって形成されたヘレニズム美術の影響下につくられたことを語っています。


↑ 菩薩立像 ギメ東洋美術館(フランス)


● 仏像の誕生

                   ↓ ギリシア・ローマ美術
インド仏教 → ガンダーラ地方 ← ヘレニズム美術(東西文化の融合)
          ↓
        仏像の誕生

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