マトゥラーの造像 仏像美術vol.3

商業都市マトゥラー

マトゥラーは、仏像の起源を巡って北西インドのガンダーラと長年論争の的となってきた地です。マトゥラー中インド北部のジャムナー川とガンジス川が合流する地点にあったため、水路によってインド全域との交流があり、通商路の交差点として栄えてきました。

この地域は商業都市として古くから人の往来が盛んで、多様な宗教の行きかう都市でもありました。そのため、マトゥラーでは宗教に関する造形活動も行われ、土俗神(その土地で信仰されてきた神)の石像や大型のストゥーパ(仏塔)、寺院建築など、紀元前2世紀頃にまでさかのぼる造形技術の長い伝統を持っていました。

ガンダーラ地方でヘレニズムの影響による造像が始まったのと同時期に、マトゥラーではインド独自の様式をもった仏像がつくられはじめました。


マトゥラーでの造像の発生

マトゥラーに仏像が出現したのは、クシャーン朝時代の紀元2世紀はじめ頃と考えられており、仏教庇護者であったカニシカ王の時代(2世紀半ば頃)に最盛期を迎えました。マトゥラーにおける仏像の制作は、ガンダーラと同様ストゥーパ(仏塔)の装飾として彫刻された仏伝図からはじまり、しだいに礼拝用の単独像がつくらるようになりました。

ガンダーラの仏像は西洋文化の影響を強く受けた彫りの深い顔立ちや、写実的な衣文(えもん - 絵画や彫刻に描かれる衣装類のシワ)を特徴としていましたが、マトゥラーの仏像は力強く生気があふれる表情をしており、肉付きのよい豊満な体と、強く張り出した両肩と身体に密着したごく薄い衣文、小ぶりにあらわされた巻貝の肉髻(にっけい)などが特徴です。


マトゥラー仏づくりの復活

3世紀半ばごろにはクシャーン朝が終わりを告げ、同時に仏像づくりもかげりが見え始めました。
北インドの仏教芸術が再度活発になったのは、4世紀のグプタ朝時代です。古典復興の気運にのり、マトゥラー彫刻の伝統をふまえた新たな造像が開始されました。伝統的な造形に加え、写実性が増し、顔の表情にも微妙な表現が付与されるなど、精神性を加味した優美な様式に変化していきました。仏教美術は東南アジア諸国や西域、中国にも伝播し、影響をおよぼしていきました。



ガンダーラ仏とマトゥラー仏の違い

●ガンダーラ仏

外部の影響でつくられ始める
西方的で厳格な顔付き
厚手の衣
人体表現が写実的

●マトゥラー仏

内部の伝統によりつくられ始める
明るく若々しい表情
薄い衣
肉付きのよい豊満な人体表現

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